2017年10月31日

積極的な死は本当に悪なのか

例の「神奈川の自殺志願者の死体遺棄『事件』」より。

あのニュースで、見つかった遺体のうち一人が、

自殺志願者だったらしいと聞いて、

自殺幇助についてネットサーフィンしてしまい、

自殺志願者の集まるサイトに行きついて

精神不安定になっていました。

今は落ち着いています。


ぶっちゃけて言ってしまうと、僕もライトな自殺志願者です。

中学の頃から断続的に自死願望があり、

今は完全に大体親のせいで生きづらいこの世界を離れて、

イマジナリーフレンド達のいる別世界の転生を望んでいます。

(こう書くと精神病っぽいですが、片足突っ込んでいます)

それもあって、僕は自殺や安楽死、尊厳死に対しては肯定的です。

死ぬ権利はあると思います。


この世界にいつどこで、どの両親の元に生まれるか、

そしてそもそも生まれてくるのかこないのかは、

選べないものです。

(胎内やそれ以前の記憶として語る子供も稀にいるようですが)

では、死については選べないのか。

宗教的に、「死ぬタイミングは神の思し召しだ」として

積極的な死を認めないこともあります。

カトリックはこれにあたります。

しかし、生まれた後は自分の意思があります。

そして、人はいつかは死ぬ生き物です。

死ぬタイミングを、天に任せるのか、

あるいは自分で決めるのかは、自分で決定していい。

いわゆる「自己決定権」です。

遺された人に迷惑がかかるからいけないと、

日本人はそのような意識がありますが、

自分の人生は、自分で決めるものです。

生まれてしまった事実は、取り消すことができません。

その上で、どう生きるか、どう死ぬか、

それは自分が決めていいことです。

自殺を推奨している訳ではありませんが、

僕は、生きることと死ぬことは、

善でも悪でもなく、

ただそこに生と死があるものと考えています。



僕は死なないのかって?

僕は未練が少しあるのと、度胸が足りないんです。


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posted by 稲城(イナギ) at 21:08| Comment(0) | 哲学(もどき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

余計なお荷物

北海道に行ってました。


母と、母の従妹とです。


タイトルには二つの意味があります。


一つは、母と従妹が、大量の荷物を持ってきて、


持ち運ぶのに苦労する量のお土産を買ったこと。


僕はトランクと手荷物、お土産を合わせても10kgに達していません。


一方、バカ二人はお洒落着をいくつも持って行き、


さらに途中で買ったダンボール一箱のラーメンと呆れるほどのお菓子を


ずっと持ち歩いたのです。



二つ目は、こちらが怒りのメインですが、


母と従妹自体が余計なお荷物でした。


従妹は母に似た性格で、自分の意見を押し通す人です。


ワガママが二人いて、扱いにほとほと困りました。



まず、行程表を渡しても全く読まない!


勝手な行動をする!


行程表は全て僕が作成しました。


丸投げです。


起業の勉強に充てる時間を犠牲にして、ホテルや電車の手配、


行程表の作成まで。


コンビニで印刷してホッチキスで止めました。


でも読まない。読む気がない!


一番腹が立ったのは4日目。


旭川で車を借り、すぐに出発して富良野の観光施設を3ヶ所回って


お土産屋に寄る時間も作りました。


ところが、駅前にショッピングモールが。


そこに寄ると言いだしたのです。


さらに昼食まで。


昼食で揉めました。


二人が牛タンが食べたいと言い、


北海道に来て牛タンはないと僕が言い、


じゃあ蟹だと二人が言い、


蟹は毎日食べたのでもういらないと僕が言い。


結局、二人は蟹、僕はパスタで落ち着くという……


さらにショッピングモールに寄ったことによって


時間がなくなり、


僕が一番行きたかったスポットを断念せざるを得ませんでした。



二つ目は、僕の意見を否定ばかりする。


自分達の意見ばかり通し、僕の意見はシャットアウト。


誰が全部手配したの?


年上は必ず偉いの?


一人の人間として扱われていないような感覚。


言い方は悪いですが、奴隷。


団体行動で自分達の楽しみを優先して、


それに意見する人はいらない。



もう無理です。


二度とこの人達と旅行に行きたくないです。


今度はIF達と鈍行巡りに行ってきます。





僕(電車でゆっくり景色を見たい)

母・従妹「ねーねー稲城、この店どう? ここ食べに行かない?」

僕(うるせえ、勝手に決めてろ)

僕(一応決めてる場所あるけど、どうせ不満なんだろ)

posted by 稲城(イナギ) at 22:50| Comment(0) | 哲学(もどき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

長生きさせることは、本当に幸せなのか

まず、最初に。

ブログタイトルと説明文を変えました。

ブログ村に、「毒親」のジャンルがあったのと、

この先、その手の話題が多くなりそうな気がしたので。


以下本題。

また哲学です。

いや、どうも、母と意見が合わないところがあって。

「子どもは親の長寿を願って当然だ」

「親は子どものために、少しでも長生きした方がよい」

今回は、この点にメスを入れてみたいと思います。


父方の祖父母は、僕が生まれる前に病気で他界しましたが、

母方の祖父母は健在です。

二人とも、もうすぐ90歳になります。

遠方に住んでいるので、祖父母の世話は母の兄の家族に任せています。

体力や交友関係の問題もあって、同居はしていません。

祖母はまだまだ元気ですが、最近祖父が骨折やヘルニアを起こし、

ヘルニアが進行すれば介護が必要になると宣告されました。

これを受けて、祖父は「私はこのまま、穏やかに旅立ちたい。家族に迷惑はかけたくない」

と言って、食事量が減っている(自らの意志で減らしている?)といいます。

対して母は、「たくさん食べさせて、一日でも長生きさせたい。介護が必要になったら、

仕事をやめてでも祖父の元に行って、つきっきりになる」と言っています。

つい数時間前も、「調理が簡単なものならきっと食べてくれる」と言って、

某食品会社の乾燥味噌汁とおかゆ、にゅうめんを通販で大量に購入していました。


そこで疑問。

母の行為が、祖父の幸せになるのか。

僕はならないと思っています。

いつまで生きるかは、本人が決めるべき話ではないでしょうか。

過激なことを言ってしまえば、長生きすることは、

人によっては、必ずしも正しいとは限らないのでは。


安楽死や尊厳死の話を最近は耳にすることも多いですが、

食べる量を減らして、それで穏やかに眠りにつきたいというならば、

それは一つの選択肢として僕はありだと思いますし、

周りも尊重するべきではないでしょうか。


母は「たくさん食べて長生きすることが、絶対に正しいんだ」と

思いこんでいるようですが、

それが相手の望んでいる終末期ではないなら、

押し付けるのはどうかと。

いくら家族愛だ、年長者は大事にするものだと言っても、

昔ならそれで通ったかもしれませんが、

家族の形が多様化した時代に、特に家族愛は押し付けるものではなくなったのです。


母が「食べやすいもの」を無理に食べさせようとして、

祖父が自分の意志で拒絶して、

食べないことに母が(悪い言い方ですが)「勝手に」傷つく。
(もちろん、自分の行為が絶対に正しいと信じているため)

さすがに無理に口に入れて、誤嚥させることはないと思います。
(その知識はあると信じたい。いやないかも…)

母は僕に対して過干渉だと言いましたが、

祖父母に対しても、過干渉気味ではないかと感じています。

子どもが親に対して過干渉なんて、聞いたことがないかもしれませんが、

表に出ないだけで結構ある気がします。

子どもから年老いた親への虐待があるのなら、それに至らない程度の過干渉も

どこで起きていてもおかしくないのではないのでしょうか。


(念のため言っておきますと、

「老人は早く死んだほうがよい」

と言っているのではありません。

「終末期の人に周りはどう接するべきか、対応するべきか」

という話です。

自分で行間を読んで考えない人が多くて、

イチから十まで書かないとすぐ誤解・曲解される時代は嫌ですね…)


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posted by 稲城(イナギ) at 21:25| Comment(0) | 哲学(もどき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする