2017年07月31日

SNSを少しやめてみて

ここ数日、色々と作業が立て込んでいたので、

SNSをまったく見ていませんでした。

そしたら、やっぱり気分が違うな、と。


まず、誰か(特に趣味関係でそれなりのお付き合いがある人)の

機嫌を見ながら発言する必要がないこと。

ここでは結構、ホンネを言っているのですが、

SNSではストレートにモノを言う人の発言を受け止めて、

その上で発言を考えることがあるのが

ちょっとしんどいです。

(僕も昔はSNSでもストレートに発言していたのですが、

自分で見返して嫌な気分になるのでやめました)


それと、時間。

SNSって、やり始めると止まらなくなりがちです。

次々と面白い情報やメッセージが流れてくるので、

やめ時が分からなくなってしまうのです。

そうして、時間を浪費してしまう。

「今日こそは」と思っても、つい、つい。


少し、SNSから距離を置いてみる時間って、

皆必要だと思います。

今の時代、SNSをやめる・やらないことが人間関係にも関わってくるので、

完全にやらないというのは無理だと思いますが、

一日、二日、やらないって、気持ちいいです。

posted by 稲城(イナギ) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

「愛」って、なんだ。―補足

前の記事で「愛」について書きましたが、

ちょっともう一言、言っておきたいことを思い出したので。


このブログでもほのめかしている通り、

僕の母はいわゆる過干渉型の「毒親」です。

毒親にもいろいろありますが、過干渉型の毒親というのは、

いつも自分が絶対に正しくて、考えを子供に押し付ける親です。


そこで一つ、毒親は愛するべきか。

はっきり言います。

その必要はありません。

前の記事では、「愛」を『肯定すること、信じること、側にいること』

であると、僕なりの定義を示しました。

この三つのうち、一つが欠けても、それは愛とは言えないと思います。

僕の母の例では、『肯定すること』と『信じること』が欠けています。

母は僕が何か意見を言えば、多くの場合否定して、自分の主張をし、

その主張を受け入れることを強要します。

また、身内でさえも疑ってかかります。

どんなに簡潔に分かりやすく説明しても、「本当に?」「もう一度言って」と

いちいち突っかかってきます。

(今日もありました。レンタカーを予約しようとしたのですが、

ネットで予約すれば、ゆっくり選べて、仲介サイトのポイントも付くのに、

さらに僕にネット予約の知識があるのにも関わらず、

考えを整理しないまま『絶対に電話の方がいい、早い、確実だ、私の方がきっと正しい』と

大声で言って意見を押し通し、電話をかけはじめ、電話をしながらパニックに陥っていました。

本当に滑稽で、こんな親が恥ずかしいです)


もしあなたの親が毒親なら、その親を無理に愛する必要はありません。

僕も母が毒親だと気付いてから、表面だけ合わせて、内心では

『(悪い意味で)かわいそうな人だ』

『また傲慢な女王様気取りかよ(笑)』

と思っています。それでいいんです。

そのような人の考えを改めさせるのは、極めて困難なことが多いです。

親が相手でなくとも、健全な愛のキャッチボールが出来ない相手とは、

それなりの付き合いに留めた方が、あなた自身も楽です。

諦めも肝心ってこと、です。


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(補足の補足。

自分の親が毒親かもしれないと思ったら、ぜひこれを一度読んでみてください。

毒親を持つ・持っていた人にとってはバイブルになると思います)




(電子書籍版はこちら)





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posted by 稲城(イナギ) at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学(もどき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

「愛」って、なんだ。

もともとこのブログって、「○○歳の哲学者」ってタイトルでしたね。
(そのころからのファンって、まだいたりしますかね)

最近はイマジナリ―フレンド(以後IF)とか、家庭の問題を中心に書いていましたが、

久しぶりに、それも絡めて、少し哲学の話でも。


愛、とは。

それを定義することは、辞書的には可能でしょうが、辞書の説明が

個々人にしっくりくるかというと、違うと思います。

人間、恋をすると詩人になるとは言いますが、それと同時に、一種の哲学者になると僕は思います。

愛とは何か、恋とは何か。

もちろんそれは、恋愛をしている人のみならず、ひととの繋がりがあるひとなら、

一度は疑問に思う、考えるところかもしれません。


僕はこの年になるまで、そういうことを考えたことがありませんでした。

「愛」とは何なのか、理解できなかったのです。

親子の間でも、愛はあるでしょう。

しかし、複雑な家庭環境のため、そこに「愛」があるかどうかさえ、分からなかったのです。

今、大切な人ができて、その人と一年間お付き合いして、愛とはなにか、考えるようになって。

最近、やっと自分なりの「愛」が定義できるようになった気がします。


それは、『肯定すること、信じること、側にいること』。


肯定すること。

否定することは、相手にいい感情を与えません。

もちろん、何もかも、すべて肯定する必要はありません。

必要な時には、「ノー」と言ったり、意見を言うことも必要です。

ですが、極力、相手を肯定することで、相手は「受け入れられている」と感じるものなのです。


信じること。

何でも疑ってかかる人っていますよね。

ある哲学者は、何でも疑ってかかって、でも思考している自分は疑えないと言いました。

疑うことは、人間の思考として大切なことです。

疑うことで、例えば詐欺などの犯罪から身を守ることができます。

周りの人に嫌なことをされて、人間不信になる人もいるでしょう。

僕もそうでした。

けれどその中で、たった一人でもいい、信じることができる相手、更に言うと、信じあえる相手が

いれば、そこには愛があるのです。

その相手は現実の人間でなくてもいいのです。

実際、僕はIFにそれを見出しているので。


側にいること。

これ、一番大事だと思います。

例えば、職場の一匹オオカミのような人。

職場では、確かに一人でよく動いているように見えるかもしれません。

けれども、そのような人は、実は一人の人を大事にしている、なんてことがあります。
(もちろん全員がそうとは限りません)

職場の仲間は職場の仲間、でも少し距離は保つ。

その代わり、プライベートの時間では、もちろん個人の時間は大切にしつつも、肯定しあえて、信じあえて、

ずっと側にいてくれる人がいる。

そのような人が一人いるだけで、精神的にはかなり楽なのです。

話を聞いてくれる相手、寄り添える相手。

僕が苦しんでいたのは、周りにそのような存在がいなかったからかもしれません。

両親共働き、母はワーカホリック、父も一日中仕事(最近は家にいることも多くなりましたが)。

加えて、親友不在。

そこに、IFがその役割を買って出たのでしょう。


この三つを備えたところに、本当の愛は生まれるのかもしれません。

僕は今の恋人から、そのことを教わりました。

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posted by 稲城(イナギ) at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学(もどき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする