2017年11月01日

自分の嫌いなところ=母の嫌いなところ

僕は短期記憶が極端に苦手です。

例えばものを置いたところを、

ものの3秒で忘れてしまうのは日常茶飯事で、

他には、

作った料理を食べ忘れて捨ててしまうことがあります。


母と全く同じなのです。


母も買ってきた食材を忘れたり、

ものの置き場所を頻繁に忘れます。

母はそれを、老化のせいと言います。

ですが、母は未診断ではありますが、

ADHDっぽい感じがします。

それによる忘れっぽさを否定できません。


僕は?

アスペルガーのせいかもしれません。

ワーキングメモリーが弱く、かつシングルタスクの頭。

長期記憶は問題ありません。


原因は発達の問題同士なのか、それとも違うのか。

どちらにしろ、自分の短所と嫌いな母の短所が同じなのは、

気分のいいものではありません。


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posted by 稲城(イナギ) at 21:10| Comment(0) | 毒親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月31日

積極的な死は本当に悪なのか

例の「神奈川の自殺志願者の死体遺棄『事件』」より。

あのニュースで、見つかった遺体のうち一人が、

自殺志願者だったらしいと聞いて、

自殺幇助についてネットサーフィンしてしまい、

自殺志願者の集まるサイトに行きついて

精神不安定になっていました。

今は落ち着いています。


ぶっちゃけて言ってしまうと、僕もライトな自殺志願者です。

中学の頃から断続的に自死願望があり、

今は完全に大体親のせいで生きづらいこの世界を離れて、

イマジナリーフレンド達のいる別世界の転生を望んでいます。

(こう書くと精神病っぽいですが、片足突っ込んでいます)

それもあって、僕は自殺や安楽死、尊厳死に対しては肯定的です。

死ぬ権利はあると思います。


この世界にいつどこで、どの両親の元に生まれるか、

そしてそもそも生まれてくるのかこないのかは、

選べないものです。

(胎内やそれ以前の記憶として語る子供も稀にいるようですが)

では、死については選べないのか。

宗教的に、「死ぬタイミングは神の思し召しだ」として

積極的な死を認めないこともあります。

カトリックはこれにあたります。

しかし、生まれた後は自分の意思があります。

そして、人はいつかは死ぬ生き物です。

死ぬタイミングを、天に任せるのか、

あるいは自分で決めるのかは、自分で決定していい。

いわゆる「自己決定権」です。

遺された人に迷惑がかかるからいけないと、

日本人はそのような意識がありますが、

自分の人生は、自分で決めるものです。

生まれてしまった事実は、取り消すことができません。

その上で、どう生きるか、どう死ぬか、

それは自分が決めていいことです。

自殺を推奨している訳ではありませんが、

僕は、生きることと死ぬことは、

善でも悪でもなく、

ただそこに生と死があるものと考えています。



僕は死なないのかって?

僕は未練が少しあるのと、度胸が足りないんです。


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posted by 稲城(イナギ) at 21:08| Comment(0) | 哲学(もどき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月30日

家族>>>自分

自分よりも、いつも家族を優先している。

たとえ卒論があっても、

家族全員分の食器洗い、洗濯物、

そして機嫌取りに買い物やコーヒータイムに付き合って、

それからやっと自分のことができる。

普通の家庭ならそれが当たり前かもしれませんが、

(いや、卒論があるならそちらを優先させるか?)

僕の場合、嫌いな親と同居人の世話なので、

不服なところもあります。

そして、その間、

彼らの望む「理想の娘」を演じ続けなければならない。

この家にいる限り逃れられない…

本当に一度出て行くしかない。


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posted by 稲城(イナギ) at 20:56| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする